ニュートリゲノミックス−新時代の栄養学の幕開け

 <栄養学の系譜とニュートリゲノミックス>

       医療ジャーナリスト 赤木三郎

 遺伝子をベースとする生体メカニズムの研究が進展。
 いよいよ「遺伝子栄養学」時代の幕開け。

ヒトの栄養に関する理解は古代ギリシャの自然医学の時代に始まり、化学分析の時代、生物学の時代、細胞学の時代を経てゲノムの時代を迎えた。ヒトゲノム解析の理解と解析が進み、 遺伝子や環境要因と病気の発症メカニズムとの関係が解明されようとしている。



 5つの時代に区切ることができる西洋の栄養学の歴史。  

ゲノム解析、 プロテオミックス、 メタボロミックスといった最新の生命科学は、 医学や創薬のためだけのものではなく、 食品分野の応用範囲は極めて広く、 無限の可能性を秘めている。 薬が 「病気治療」 を目的にしているのに対して、 食品は 「生命活動の維持 (健康維持と病気予防)」 に欠かせない必須のものであるからだ。 ヒトの体と活動は、 摂取した食品及びそれに含まれている数多くの栄養素によって成り立っている。 ヒポクラテスが述べたように、 「ヒトは食物から造られる以外の何者でもはない」。

ヒトの栄養に関する理解は、 解剖学、 生化学、 生理学といった分野の研究と共に発展してきたが、 これまでの西洋の栄養学の歴史は、 大きく5つの時代に区切ることができる。 すなわち、

(1)自然医学の時代 (BC400年〜AD1750年) :ギリシャ医学から中世の栄養学説は、 ヒポクラテスの仮説でもあった 「生体内の先天的な熱」 によるものといった漠然とした捉え方でしかなかった。

(2)化学分析の時代 (1750年〜1900年) :近代に入ってから栄養学の先駆的な研究に、 ラボアジェの発見 「食品は酸化されて炭酸ガスと水と熱に変換される」 (生体エネルギー論) というもので、 フォイトらによるカロリーメーターの発明に代表される。

(3)生物学の時代 (1900年〜現代) :ラングワースは、 マクロ栄養素を中心とする 「栄養の法律」 を著し、 ホプキンスのビタミン研究を発端として栄養学の関心はミクロ栄養素 (ビタミンや、 ミネラル) に移行した。

(4)細胞学の時代 (1955年以降) :分子細胞学の登場によって、 必須栄養素の機能性に関する理解と、 酵素やホルモンの共役要素としてのミクロ栄養素の役割、 その代謝メカニズムの研究が進んだ。 こうして栄養学の分野に登場したのが 「分子栄養学」 (Molecular Nutrition) である。

(5)ゲノムの時代 (2000年以降) :分子細胞学と平行して発展した分子遺伝学・ゲノム学は、 ゲノムレベルでの多面的な研究を促し、 遺伝子 (gene) をベースとする生体のメカニズム、 とりわけ健康と病気、 生体防御、 加齢、 精神活動における栄養素の機能の研究を発展させた。 これが 「遺伝子栄養学」 (Nutrigenomics) である。 この用語は、 アメリカのナンシー・フォッグ・ジョンソン博士らによって命名されたが、 分子栄養学と比べて、 遺伝子の働きの持つ意義を強調したものである。 すなわち、 ゲノム時代を反映する 「-omics」 を用いたことで、 イメージ的に分かりやすいこともあり、 たちまちに欧米の研究者のハートをつかむことに成功した。 今や先輩格の分子栄養学をはじめ 「機能性栄養学」 (Functional Nutrition) をも飲み込んだ最新の栄養学として急成長している。 但し、 一般社会ではまだま遺伝子に関する理解が不足していることから、 用語の持つ響きに馴染みがなく、 また不安を掻き立てる面が無きにしもあらずだ。 そのため、 むしろ、 「個人別栄養」 (Personalized Nutrition) の方が受け入れられている。


 疾患における遺伝因子と環境因子の相関関係。  

20世紀の後半以降、 ヒトのゲノム解析、 とりわけ一塩基多型 (SNPs) の理解と解析が進んだことで、 遺伝子や環境要因と病気の発症メカニズムとの関係が解明されつつある。 遺伝子のもつ個人差やグループ差の解明、 健康と病気発症の因果関係、 環境因子との関係について少しづつではあるが理解が進んできた。 そのことによって、 ゲノムによってコード化されて産生されるタンパク質 (酵素を含む) が表現するバイオ活性と栄養素との間の相関関係が明らかにされ、 代謝、 生体防御と恒常性の維持、 神経伝達などの機構を含む生体内における分子レベルでの栄養素の機能と効果に対する理解が深まった。 こうして 「遺伝子と栄養素と生活環境」 の3要素を多面的に取り上げる 「遺伝子栄養学」 の時代の幕開けを迎えたのである。 それは同時にSNPsの違いや環境因子との関係から、 ヒト一般ではなく、 個人別栄養の時代の到来を示すものであることは既に述べたとおりである。

遺伝子と疾患との関係はきわめて複雑であり、 千差万別である。 疾患には大きく、 血友病や筋ジストロフィーのような単一の遺伝子の変異によって引き起こされる 「単一遺伝子疾患」 (多くの場合、 現在の医療技術では不治) と、 複数の遺伝子が関与しており生活環境因子の影響を受けて発症する 「多因子疾患」 (いわゆる生活習慣病) がある。 これには、 ガンや高血圧、 高脂血、 心臓疾患などが含まれるが、 遺伝因子と環境因子の相関関係は一人ひとり異なっている。

遺伝子の複雑性は、 生命誕生以来40億年の進化を背景にしている。 DNAには、 生物がそれぞれの時代の環境に適応して生存するために獲得した遺伝子がその後の進化や環境の変化によって不要となったもの、 新たに獲得していったものがそのままDNA内に、 ゲノムとして記録されている。 遺伝子は本来生き続ける存在であり、 病気を目的にした存在ではない。 時には遺伝子を運ぶ個体を守るために細胞をアポトーシスさせる 「非情」 な存在でもある。 また、 ゲノムには生体防御に働く遺伝子が存在しており、 病気が発症しても治癒システムが働くように工夫されている。 そうでないなら人類は生き延びることができなかったはずである。

単一遺伝子病は致死的疾患を引き起こす遺伝子によるもので、 現状では治療は不可能な病気であり、 一日も早い遺伝子治療や再生医療といった医療技術の発展が望まれる。 一方、 多因子病 (生活習慣病) は、 何らかの理由で正常な遺伝子に突然変異が生じ、 生体防御システムが正常に機能しなかったことによるものである。 少なくとも生活習慣病は多因子疾患であり、 環境因子を変えることで病気予防が可能であり、 今その複雑な関係が解き明かされつつある。

今や生活習慣病の大半は、 ゲノムバイオの研究で治療が可能な分野に近づきつつあり、 さらには遺伝子の転写とタンパク質・酵素の産生、 代謝メカニズムに関与する特定の栄養素によって疾病の発症を防止し、 正常な代謝を促進することが可能となりつつある。 (次回は 「ニュートリゲノミックスと近未来の食生活」 について述べる)


(Medical Nutrition 59号より)


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